反省するって自分を責めることではなく

反省とはmain 画像

反省とは、”自分を責めること”だと思っていませんか?

反省することって、”自分を責めること”だと思っている人って結構多いと思うんです。(私もそう思っていました)

あと相手に反省させるために責める、みたいな感じのことも割と身近にありませんか。

そもそも日常の日々の中で、「反省します」とか、「反省してください」という言葉を使うときはおそらく、何かしらのミスや過ち、問題なんかが起きていて、もう今回と同じようなミスや過ちを繰り返さないよう、問題を起こさないよう、”二度と同じことはしません”というニュアンスで使われていると思うんですね。

反省することは、”もう同じことをしない”という意味づけで考えたとき… 反省すること=自分を責める(または相手を責める)、という行為は不毛だとわかると思うんです。

”反省”は、自分をありのままに知ること

反省するって、自分を責めることではなく、”自分をありのままに知ること”だと思うんです。

たとえば、理科の実験でミスして実験が失敗に終わったとして…

失敗した今の状況や状態、起きたことを観察し、記録し、失敗した要素を正確に知り、理解してから、また次の実験方法を考える。

もし「なんで失敗したんだ、なんて愚かなんだ〜」と自分を責めたり、誰かを責める人がでてきたら、「いや、いや、いや… 責めるなんて時間の無駄でしょ。失敗の要素が分かることも実験でしょ。責めるなんて意味ないでしょ?」って簡単にわかると思うんです。

「責める」は、”恐れ”のエネルギーにフォーカスする

責める、責められるというのは、否定や批判などの攻撃から自分を守る、防衛するという”恐れ”のエネルギーにフォーカスしてしまい、目の前で起きたこと、あらわれていることをそのままみる、受け止める、理解することを妨げてしまいます。

また攻撃から身を”守る”ことの方にどうしても意識が向くので、”守り”からくる反発や反撃、抵抗を煽ってしまい、逆に反省していないと見られるとか、攻撃への回避に徹してしまうことなります。そうすると本来の”反省する”ことはどんどん遠ざかりますよね。

たとえば、最近メディアで報道される薬物や覚せい剤使用により逮捕される芸能人や不倫による謝罪会見がばんばん流れていますが、反省とは自分を責めること、相手や社会から猛烈に責められること、という図式を見せられている気がしてしまうんですね。

涙を流しながら、「私が悪かったんです、反省します」「僕が甘かったんです、反省します」ととにかく自分を責める。責めて、責めて、謝る。そして追い打ちをかけるように、家族や関係者、社会全体からも「反省すべき」とさらに責められる…

責める、責められる。それで終わり。となってしまうと、本来の問題の解決までには至らず、もしかしたらまた同じことを繰り返してしまい、ずっと苦しみ続ける人生に…というのはあまりにも悲しいことだと思います。

”同じことをしない”という面から反省の意味を考えたとき

反省するって、まずはありのままの自分を知ること、理解を示すこと、受容することからだと思うんです。そこからはじめて、変わろうとかここを改善してみようとか、変化するための要素が見えてくるのだと思います。

今、自分の前にあらわれていることは何なのか
そこには自分のどんな感情や思いがあったのか

そんなふうにありのままの自分を知ること、理解することができたとき、誰かに無理やり変えられたり、うわべだけの解決ではなく…

本当の意味で、自然なかたちで、どうすれば自分は同じことを繰り返さないのか、何を変えていくのか、その解決の道が見えてくるのだと思います♪

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