相手のせいにしているときほど辛い

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相手のせいにしているときほど辛い

相手のせいにしているとき。どう考えても100%相手が悪い、そう信じて疑わないとき。本当は心の奥底にどんな思いを私たちは持っているのでしょうか。

例えば、「こんなやつ地獄に落ちればいい」と心の底から腹を立てたことが過去にあったわけですが、地獄に落ちろ…と思ったとしても、そんなことを堂々と言えるわけでもなく、親しい友人にだけその思いを聞いてもらったり。聞いてもらったとしても、そもそもそんなことを言ったら自分に返ってくるかもと逆に不安になったり。相手が悪いはずなのに相手のせいだと怒れば怒るほど、逆に怒っている自分に罪悪感を持ち、自己嫌悪にはまったり。と、そんな感じで、怒りはたまる一方、抑圧する一方だったわけですね。

これはまさに、怒りの解放を知らなかったときの私の思考パターンでもありました。(怒り自体を禁止にしていた自分をのちのセラピーで発見したものです)

私たちは、怒り、悲しみといったネガティブな感情や、不快感、嫌悪感、または欝的な感覚など、いわゆるネガティブな感覚が出てくると、それが自分の中にあってはいけないと思いがちです。でも、感情が自分の中にあることを嫌がると、よけいに感情は出ていかず、深い部分に溜まっていきます。

こういう思いがある場合、その怒りを100%認めて、その思いが自分の中にあることを許してあげたほうがいいんですね。ただ、「腹が立ったとき、相手に地獄に落ちろと思ってよい」ということではないんです。

怒りの解放は「体の運動」なので、「怒りを思う」という思考活動ではないんですね。相手に地獄に落ちろと思えば思うほど、たぶんものすごく苦しくなると思います。なぜかと言うと、「相手が悪い」と信じきっている自分の思いに一体化している状態だからです。

そうではなく、体から怒りのエネルギーを出すことをする、なんですね。

小さい子どもが怒っているシーンを思い浮かべてみてください。地団駄を踏んだり、大声で泣き叫んだり、大人でもびっくりするくらいのエネルギーで怒りをあらわにします。本来、怒りのエネルギーはそれくらい強い身体感覚を伴っています。

なので、もし体からパンチしたり、キックしたりという衝動が出てくるのなら、しばし自分だけの空間でそれを自由にさせてあげましょう。「体」に集中しきることで、思考がなくなっていく自分に気付くと思います。怒りを感じている体の方に全ての意識を集中させていくこと。そこに相手はまったくいないんです。

相手が悪いと相手を責める怒りも実は投影です。「相手が自分に何かをして、そのせいで自分は犠牲者だ」「相手は自分に何かをするべきではない」、もしくは「相手は何かをすべきなのにしていない」など、そこには自分の思いがあって、その思いから腹を立てています。

ここでの大きな発見は、「怒りを生み出しているのは、自分であって相手ではない」ということ。

 

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