感情を閉ざしているときにやってしまうこと

感情を閉ざしているときにやってしまうこと

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自分の本来あるハートで生きていないことで、「本当の私はどれなの?」「私はこんなはずではない!」「もうこんなことの繰り返しは嫌だ」という怒りや不安、不満、葛藤などに押しつぶされそなとき、感情を閉じることがあります。

感情を閉じているとき、ハートの声の存在を知らずに、自分が人生のどこかで決めてきた”こうあるべき(判断、決めつけ)”や”私はこういう人間だ(ビリーフ)”と生きていこうとしたりして。

感情を閉じることで、自然に沸いてくるエネルギーが感じられず、感情が通っていくときの自然なエネルギーの高まりも感じられず、心の中では何かが死んでいくような感覚になります。(自己価値の死)

さらに感情を閉ざし何も感じられないとき、それでもやはり何かを感じたいと願い、苦肉の策で自らに痛みの伴うドラマ、ストーリーをつくりだすんですね。ときには暴力まで生み出すこともあります。

この苦しい、辛い自らのドラマやストーリーは、時として、人生に刺激を与えてくれます。この刺激が閉ざしている感情にとっては、ある種のパワーを与えてくれることもあり、依存性も生み出します。それは自分のハートを依存対象にゆだねることで、その対象から感情を得られるから。

でも、そこにはやはり行き場のなくなったさまざまな思い、感情があって、今度はその依存対象の感情をコントロールしようとしたりして、さらにドラマやストーリーを作ろうとします。

自ら感情を感じよう、自分を開こうと感じられているときは、わざわざ人生において、痛みや否定的なドラマやストーリーを作らなくても自分を感じられるし、どんな自分の感情であってもすべてに気づいているときには、自分は今癒されているな〜とか、今辛いときだな〜とわかり、感覚の微妙な動きもわかるんですね。

また自分の感情は自分でケアできる(境界線)ので、他者に感情のケアをさせる必要もないし、自分以外の何かを通して(共依存)、感情を得ようとしなくてもいいんです。

感情を感じることは、過去を手放して前に進むための最初の一歩♬

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