見たままを見る、感じたままを感じることの大切さ

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見たままを見る、感じたままを感じることの大切さ

大人になればなるほど、見たままを見て、感じたままを感じることってだんだんできなくなってきますよね。

例えば、親友が恋人にふられて泣いていたとしたら…

あなたはどんな反応をするでしょうか。

ある人は、親友だから元気になってもらおうと必死に励ますかもしれません。
ある人は、こういうときはそっとしておいた方がいいと何も言わずに見守るかもしれません。
ある人は、ふられて当然でしょう…とお腹の中では笑っているかもしれません。

見たまま、感じたままではいさせない「解釈」の働き

目の前にいる人、目の前にあるできごとを事実のまま、そのままを見る、そのままを感じることができない理由は、ズバリあなたが持っている解釈というフィルターです。

「解釈」とは、いままで自分が体験してきた出来事を通して、そのときに味わった匂いや音などの五感や感情すべてをセットにし、そこから何かラベルのような意味付けをしていく作業です。

この解釈の違いが、時にはすれ違いや勘違い、悲劇のストーリーをつくりだします。

同じ「解釈」を望んでしまうことの悲劇

同じものを見たとき、同じ出来事を経験したとき、人は自分以外の人にも同じことを感じてほしいし、同じ行動を取ってほしいと思いがちです。

それが家族や身近な人であればあるほど、分かってくれると期待は高まり、言葉を省き、無言の中で共感や同調を望んでしまいます。ここが悲劇の始まりポイントです。

たとえ家族であっても、恋人や友人であっても、人はそれぞれが見たいものをみて、信じたい世界を信じています。

病気も「治さなければいけない」という解釈がすべてか?

例えば、心や体の病気になったとき、誰もがみんな本当に「治りたい、治したい」と願うという解釈は本当なのでしょうか。

「病気を治したい」と言いながら、本人は自覚がないながら、潜在意識のレベルでは実は治りたくない人がいるかもしれません。もちろん、そこには治りたくない理由が潜んでいて、治らないことで得ているメリットがあるんですね。

「不幸」なことを本当に不幸なことと解釈しているのか?

「不幸」だと思う人も、本当はその不幸が幸せであって、その不幸を保つことで得ているメリットがあるのかもしれません。

つまり、その状況や状態はあくまでも状況や状態であって、そこから何を見て、何を感じるかは、その人の「解釈」のうえに成り立っているということ。

でももし、あなたに起こるできごとや状況において、見たままを見る、感じたままを感じることができたなら、そこには期待や絶望もなく、ただそこにある命を互いにいかすことだけ。

そんなことをまさに表現している動画(https://youtu.be/Ppzqe9SdD2c)もどうぞご参考に♬


熊本、九州の地震、まさか九州でこんなに大きな地震がくるとはといまだ余震も多い中、心休まらないでしょうが、どうかみんなで声をかけ合い、助け合えますよう、身の安全を第一に過ごせるよう、被害が少しでも小さくすみます様に…… 私の祖母もいま熊本市内にいます。無事を心から祈っています。

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