傷つきやすさ

a moonlight night

陰陽の勉強をしていく中で、「かなりあ」という童謡を最近知りました。
西条八十さんという詩人が童謡としてかいた唄です。

西条八十さんはこの当時、株式投資で大失敗をし全財産を失うという自身の状況を重ね合わせて、この詩を書いたそうで。詩人にとって、「詩が書けない」のは、「うたを歌えないかなりあ」と同じですね。

かなりあ 

唄を忘れた金絲雀は後ろの山に棄てましょか
いえ、いえ、それはなりませぬ

唄を忘れた金絲雀は背戸の小薮に埋めましょか
いえ、いえ、それもなりませぬ

唄を忘れた金絲雀は柳の鞭でぶちましょか
いえ、いえ、それはかわいそう

唄を忘れた金絲雀は象牙の舟に銀の櫂
月夜の海に浮かべれば 忘れた唄を思ひだす
西条八十

「かなりあ」という鳥は、かよわさ、はかなさ、傷つきやすさ、そういった人間のもつ脆さ、の象徴としてもあって。

昔、人は炭鉱の採掘に入るとき、時として有毒ガスが発生するため、それに気づくのが一瞬でも遅れると大勢の死者が出かねないそんな危険な現場へカナリアを連れて入ったという話もあるようです。

かよわく、はかなく、傷つきやすいカナリアは、誰よりも早く毒ガスに反応し歌うのをやめ、倒れる。その姿から人々は危険を察知し、逃げる判断をする。誰よりも早く傷つくカナリアが、その身を呈し危険を知らせてくれるのです。

誰の中にも、かよわきもの、があり、傷つきやすさ、がありますが、誰よりも早く傷つく、ということは、誰よりも早く気づく力の顕われでもあります。そして、この唄は最後こんなふうにいっています。

唄を忘れた金絲雀は 象牙の舟に銀の櫂
月夜の海に浮かべれば 忘れた唄を思ひだす

かよわさや、傷つきやすさ、誰しもがもっている「もろさ」を克服すべきもの、余計なものとするのではなく、大切なことを気づかせてくれる
大事な力だと認めること。

傷つきやすいこと、それは決してわるいことではなくて、むしろ、傷つきやすい人こそ、カナリヤのように大切なことを教えてくれる役目を担っています。

自分の中にある「傷つきやすさ」に、目を背けたり、耳をふさいだり、陰に追いやったり。そんなことはせず、自分の中に忘れていた陰を受け入れていくこと。それができたとき、自分を癒すこととなるのではないでしょうか。  

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中